美濃 祐向山城みの いこうやまじょう
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築城年代は定かではない。
永禄7年(1564年)稲葉山城主斎藤龍興が家臣の竹中半兵衛重治に居城を乗っ取られるという事件が起こるが、このとき龍興が祐向山城を経て揖斐城に入ったと云われる。
祐向山城は標高374.3mの山に築かれており、現在は文殊の森からの登山道が整備されている。
主郭は山頂にあって広く削平されているが、切岸は西側にある堀切は明瞭であるが、南東に続く尾根側は発達しておらずり小さな段曲輪の先に小さな堀切が一条あるだけである。
主郭から西の法林寺城に続く尾根には主郭下とそこから少し離れた位置に大きな堀切を設けて尾根を遮断してある。堀切には崩落のようにも見えなくはないが、仕切り土塁のようなものが何箇所がある。
山口城を参照。