元禄元年(1688年)美濃国大垣藩主戸田氏定の弟氏成が三千石の新田を加増され、それ以前に領していた美濃国野村七千石と併せて一万石を領し諸侯に列した。 戸田氏は定府大名として氏成、氏房、氏之、氏養、氏宥、氏やす、氏良と代々続き明治に至る。
明治2年(1869年)戸田氏良の時に三千二百石の加増があり、陣屋を美濃国野村に移し野村藩となり、畠村陣屋は出張陣屋となった。
畠村陣屋は福江市民会館の辺りに築かれていた。遺構はないが南西側の道路を「城坂」と呼んでおり、これが陣屋の名残である。市民会館の東側に公園があり、ここに案内板が設置されている。