築城年代は定かではないが建久年間(1190年〜1199年)に多久宗直によって築かれたと云われる。
多久氏(前多久氏)の祖とされる宗直が摂津から下向し最初の築いたのが陣内館とも称する多久氏館であった。しかし、すぐに梶峰城も築いたとされる。
多久氏の祖とされる宗直については詳らかではなく、多久氏が史料に現れるのは永仁7年(1299年)の多久弥太郎宗広が初見となる。
梶峰城を居城とした多久氏は永禄年間(1558年〜1570年)には有馬氏に従うようになり、永禄6年(1563年)有馬氏に属して丹坂峠で龍造寺軍と戦い敗れた。この戦いに勝利した龍造寺軍は勢いに乗じて梶峰城へと攻め寄せ、梶峰城は落城、城主の多久宗利は須古の平井氏を頼って落ち、これによって前多久氏は滅亡した。
多久氏館は延寿寺の辺りに築かれていた。延寿寺は多久氏の菩提寺であり「前多久家供養塔」(市史跡)がある。
多久氏館の位置は確定されていないが、延寿寺の北西にある住宅街の中に土塁と「カラホリ」と呼ばれる道路があり、この辺りと推測されている。