築城年代は定かではない。
元亀年間(1570年~1573年)に龍造寺隆信は弟信周を小田に置いて須古城の平井氏や有馬氏に備えていたが、天正3年(1574年)信周を須古へ移し、三根の中野の城から馬場肥前守鑑周を小田へ移した。馬場氏は慶長16年(1611年)馬場茂貞が改易されるまでこの地を統治してたと云われる。
乙宮山城は比高40mほどの丘陵に築かれており、小規模ではあるが横堀を使った技巧的な縄張である。
主郭の周囲には一部土塁があり、全体的に土塁を巡らせていた可能性がある。現在東から直線的に入っている道は後世の改変で、本来の虎口は東端北側にある。虎口は右折れで入る内桝形状になり、虎口の東は櫓台、西も張り出して横矢掛けとなる。
主郭の外側は改変著しい東側を除いて横堀がめぐり、その外側は分厚い土塁となるが、北側に1ヶ所竪堀があり開口する。
城の南側の道路沿いに案内板があって周囲に路上駐車可能。案内板から北へ入って突き当りを西へ登って行けば主郭に至る。
最寄り駅(直線距離)