肥前 福母城ひぜん ふくもじょう
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築城年代は定かではない。武雄の後藤氏の被官で五十町を領した鶴崎弥藤次の城とされる。
永禄6年(1563年)以降、有馬方の須古城平井氏を攻める龍造寺氏の駐屯地として利用されたと考えられている。
参考文献: 佐賀県の中近世城館
福母城は大町駅の北側にあり、字城山として畑や墓地となった丘陵が残されているが、周囲は宅地造成されており、遺構もほぼ消滅している。