肥前 秋田氏館ひぜん あきたしやかた
△トップに戻る
天徳元年(957年)に紀伊から下向してきた秋田豊定(秋田宮内大守太輔秋田城之介藤原豊定)によって築かれたと伝えられる。
秋田城介の事実はないにせよ、館主には秋田豊定、豊次父子が伝えられ、豊次の代からは納所氏に改姓したという。
秋田氏館は常応寺の東麓に築かれていたという。公民館の西に「館林」や「館の用水」と呼ばれる地名があるが、遺構は現存しない。
常応寺には秋田豊定、豊次父子の墓がある。