築城年代は定かではないが田中氏によって築かれたと云われる。田中氏は近江の出自で承久の乱の功により羽佐間の地を得て下向したという。
天文14年(1545年)田中信家は多久宗時に従って龍造寺氏と戦って敗れ、羽佐間村で討死したという。
元亀元年(1570年)田中泰景は今山合戦の後の梶峰城攻略で龍造寺氏に従って戦功があり、砥川・別府・羽佐間一帯に知行地を得ている。
羽佐間城は現在の虎渓寺の境内にあったという。 虎渓寺は田中氏の菩提寺で、文亀年間(1501年〜1504年)に田中泰家によって羽佐間城の地に再興されたと伝えられている。
虎渓寺は山の麓の微高地に位置しており、詰城ではなく居館のような存在であっただろうか。明瞭な遺構はない。