元和2年(1616年)鍋島元茂によって築かれた。
鍋島元茂は佐賀藩主鍋島勝茂の庶長子で、七万三千余石を分与されて小城藩を興し佐賀藩の支藩の一つとなった。小城藩は無城主格であったため城ではなく、正式には陣屋とも呼ばれずに屋敷と呼ばれていた。
小城陣屋は現在の小城高校から桜岡公園一帯である。小城高校のところに御殿があり、桜岡公園となっているやや丘陵部や南端の池を含む領域が陣屋跡、その東側一帯に家臣の屋敷などが並んでいた。
陣屋の遺構としては正門前の石橋、鐘撞堂跡、土塁などがある。 正門前の石橋は桜岡小学校の西側にある駐車場の部分にある。鐘撞堂跡は桜岡公園の最高所の南下の檀にあり標柱がある。土塁は桜岡公園の南端にある大池の南と東に残っている。
桜岡小学校の一部は藩校である興譲館跡で案内板が設置されている。