肥前 持永城ひぜん もちながじょう
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南北朝時代に今川了俊が九州探題として下向し、この治に探題府を築いたのが始まりという。
今川了俊のの弟今川仲秋の子孫がこの地に住み、応永年間(1394年〜1428年)に持永氏を称して千葉氏に従い居城とした。
持永城は清泉寺の南、県道212号線付近に本丸があったという。 ここに「今川持永城本丸趾」の石碑が建ち、その近くにあるのが持永盛秀の墓である。