築城年代は定かではないが龍造寺政家によって築かれた。
龍造寺隆信の嫡子政家は天正18年(1590年)豊臣秀吉から隠居領を賜り、鍋島直茂を政家の養子として国政を委任した。その隠居領に構えたのが村田氏館である。
慶長12年(1607年)龍造寺家政は村田氏館で没したが、嫡子高房も直前に自刃していたため、隠居領は二男安良が継いだ。安良は名を龍造寺から村田に改め、久保田村田氏として親類格となり、佐賀藩の重職を歴任し明治まで続いている。
村田氏館は大雲寺の南側一帯に築かれていたが、現在は宅地となっており、堀が水路として名残をとどめている。
西側の県道沿い、元小路バス停南側に「旧藩 村田家屋敷跡」の石碑と案内板があるが、この西側一帯の宅地が「お茶屋」と呼ばれている。これは村田氏の屋敷が佐賀城下に設けられ、後にお茶屋と称する在地屋敷がこの地に移転されたためと考えられている。