築城年代は定かではないが鴨打氏によって築かれたと云われる。 鴨打氏は松浦党で鴨打秀のとき東松浦郡からこの地に来住し千葉氏に仕えた。
鴨打氏は鴨打秀のあと鴨打胤宗、そして千葉胤繁の娘との間に生まれた鴨打胤忠がいる。
天文年間(1532年〜1555年)頃、鴨打陸奥守胤忠は龍造寺氏に従うようになり、永禄6年(1563年)の丹坂峠の合戦や元亀元年(1570年)の今山の合戦などで奮闘する。
鴨打氏は江戸時代に入ると小城藩士となった。
宝泉寺館は現在の宝泉寺一帯に築かれていた。寺の西と北に水路となった堀が残されており、境内には鴨打氏の墓所がある。この墓所は圃場整備のさいに西の堀の外側にあった「かもちさんのハカ」を移したものという。
近くの永林寺館もまた鴨打氏の城とされる。
宝泉寺に案内板がある。
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