築城年代は定かではない。満岡氏ははじめ満岳であったが満岡の字に変わったという。
満岡氏の出自については詳らかではないが、一説に武雄の後藤氏の家臣と云われる。後藤貴明の子晴明が龍造寺隆信の養子となり、龍造寺家均(家忠)と名乗って久保田に住んでいたため、これに随行した満岡氏が近くに館を構えたのが始まりとも云われる。
満岡氏は江戸時代には帰農して大庄屋を務めている。
満岡氏館は龍顔寺の南東、興福寺の東にあり、民家の敷地となっている。道路の西側にある水路が堀の名残という。
龍顔寺は元亀元年(1570年)満岡武蔵守宗久が菩提寺として建立した寺院である。