築城年代は定かではないが南北朝時代に鍋島氏によって築かれたと云われる。 肥前国鍋島を名字の地とする鍋島氏は佐賀藩鍋島氏の祖となった鍋島直茂が著名である。 鍋島氏は鍋島経直のとき鍋島村からこの本庄村へ館を移した。
鍋島氏は経直のあと経房・清久・清房と続き、清房の次男が直茂である。
享禄3年(1530年)周防の大内義隆が筑前守護代杉興運を大将として肥前へ侵攻、少弐氏と田手畷で戦った。この戦いで少弐方は劣勢であったが、鍋島清久父子率いる一団が赤熊を被って大内軍に突進し、浮き足だった大内軍は筑紫尚門や横岳資貞などが討死した。 この戦いの後、龍造寺家兼は鍋島清久の次男清房に龍造寺家重の娘を娶らせ、本庄八十町を与えた。この清房と家重の娘との間に生まれたのが鍋島直茂である。
本庄館は現在宅地や田畑となっており遺構は残っていないようである。宅地の一角に鍋島直茂誕生の地として胞衣塚があり市指定史跡となっている。
国道を挟んで南側には鍋島家菩提寺の高伝寺があり、鍋島家および龍造寺家の墓碑がある。龍造寺家の墓碑の写真は水ヶ江城を参照。
国道208号線環状南道路の高伝寺入口の東80m程の所を北へ曲がる。水路沿いに細い道を東光寺に向かって行くと右側にある。
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