築城年代は定かではないが天正年間(1573年〜1592年)頃に千住伊賀守忠時によって築かれたと云われる。千住氏は武蔵国児玉党の一族で天正年間(1573年〜1592年)に龍造寺氏の被官としてこの地に住んだという。
天正12年(1584年)の沖田畷合戦で千住忠時は討死、家督は千住時房が継いだという。
千住氏館は経島寺付近に築かれていた。この辺りも環濠が巡っていたが、現在は殆ど埋め立てられ、館の東の堀が残るのみという。
経島寺は平重盛が開祖と伝えられ、千住氏の菩提寺として千住伊賀守の墓が残されているというが、どこにあるのかわからなかった。