詳細不明。太田氏の居城で江戸時代には鍋島氏の重臣として鍋島姓を許され太田鍋島家となり、元和7年(1621年)に三根郡西尾・神崎郡用作へ知行替えとなっている。
太田氏の出自は詳らかではないが、武蔵国の太田道灌の五代後裔太田資元が川副荘太田郷に下向して土着したのが始まりとされる。
太田城は太田神社の南側に「館畠」、「西館」、「東館」と呼ばれる所があり、この辺りに築かれていたという。残存土塁とされる場所は藪で土塁なのか何なのかよく分からなかった。
集落にある慈広寺は太田鍋島家の菩提寺で墓所が残っている。