築城年代は定かではない。
天正12年(1584年)大友の軍勢がこの辺りを焼き払ったときには、龍造寺の家臣中野少輔清明が在城していた。
慶長6年(1601年)関ヶ原合戦後に田中吉政が柳河に入封した後、多くの城が廃城となったが、榎津城は維持され、慶長11年(1606年)には城代として加賀源助が居り、元和6年(1620年)に廃城となった。
榎津城は現在の城山公園一帯に築かれていたと云われる。 名は「城山」であるが、全くの平地で特に遺構はなく、筑後川の河口を押さえるための城館であったようだ。
正覚寺の南側にある公園に城山公園由来の案内がある。公園内に駐車可能である。
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