築城年代は定かではないが明応年間(1492年〜1501年)頃に犬塚家貞によって築かれたと云われる。犬塚氏は筑後の蒲池氏の庶流で筑後国三潴郡犬塚郷を名字の地とする一族である。
永禄12年(1569年)崎村城主犬塚鎮直と蒲田江城主犬塚尚重は大友方と龍造寺方に分かれたため、尚重が鎮直を謀殺しようとしたものの、互いが討死してしまった。その後、元亀3年(1572年)崎村城主の犬塚家広は横岳氏への抑えのため中津隈城へ移されたという。
崎村城は次郎の森公園の辺りに築かれていたという。公園の南側が「古城」と呼ばれており住宅地となっている。その西側には水路が切り開かれており、現状では明瞭な遺構は残っていない。