詳細不明。鎌倉時代には松浦氏一族の中津隈氏が居たという。
正平8年・文和2年(1353年)には北朝方の勢力が中津隈に要害を構えて南朝の少弐・菊池勢と戦っている。元亀元年(1570年)には大友氏の軍勢が攻め入り中津隈に陣所を構えている。元亀3年(1572年)には西島城を攻めた龍造寺隆信が崎村城の犬塚家広を中津隈城に移したと云われる。
徳音寺の南東に「館(タチ)」その西側には「館堀(タチボリ)」と呼ばれる地があり、この辺りが中津隈氏の館跡と考えられている。
北の宝満神社境内には土塁が残っており、これが中津隈城(要害)の遺構と推測されている。