築城年代は定かではないが、建武3年(1336年)小俣道剰によって築かれたとも云われる。
建武3年(1336年)九州から再上洛を目指した足利尊氏は、宮方への備えとして仁木義長と一色範氏を残した。仁木氏と一色氏は綾部城と千栗城に軍勢を入れて宮方に備えた。小俣道剰はこの一色範氏の侍所であった。
肥前と筑後の境に位置する千栗城は文和2年(1353年)に宮方の少弐・菊池軍が攻撃、応安6年(1363年)には逆に宮方が籠城する千栗城に足利軍が攻撃を加えている。
その後、筑紫氏の属城として宗次郎左衛門が城主となっていたが、筑紫広門がこれを鯵坂城へ移し、筑紫興門を城主とした。
千栗城は三嶽神社のある御嶽山(城山)に築かれていた。かつては標高38m程の山で山頂に御嶽神社があり、土塁や横堀などか残されていたというが、土取によって山は大きく削られ、現在はほとんど消滅している。