詳細不明。綾部城に関係すると推測されており、一部発掘調査によって15世紀から16世紀頃の土師器や柱穴が検出されている。
臥牛城は南へ伸びた丘陵に築かれている。
南北に伸びている部分を「大城」、南端から東へ伸びた部分を「小城」と呼んでいる。 「小城」の部分は果樹園となっているようで南の県道から果樹園に通じる道がある。西の大城と繋がる尾根部分は堀切状に切通となり、「大城」の東山腹にある曲輪へ繋がる。
南北に伸びた尾根にある曲輪群が「大城」であるが、城内はかつて開墾されていたようで地形の改変がある。南北に続く曲輪は小さな段差があるだけで堀切などはない。北端部が主郭と思われ、北端にわずかな土塁、平地となっている部分にも土塁を思わせるような小高い土盛りが遺されている。
北端から東下へ降りた所に土塁囲みの腰曲輪があり、北に虎口が付いている。北の虎口はそのままスロープで谷へと降りている。
南の県道から入ることができる。
最寄り駅(直線距離)