築城年代は定かではないが建武3年・延元元年(1336年)頃に綾部幸郷・綾部幸依によって築かれたと云われる。
永正年間(1504年〜1521年)には九州探題渋川氏を追って大宰少弐武藤氏の所領となったが、元亀2年(1571年)滅亡した。
白虎山城は長崎道の北、南へ伸びた尾根に築かれている。
北尾根に設けた巨大な空堀が最大の特徴である。この空堀は尾根にやや屈折させた長い土橋を残し、西と東にそれぞれ巨大な竪堀を二・三条落としているのだが、西は土橋に並行に空堀を設けており、こういった形の空堀は珍しい。東側面は計四条の巨大な竪堀があり、東の谷下まで伸びている。
北の空堀から南の部分が城域で最高所には南北二つの曲輪があり高い切岸となる。南下に城内で最も広い曲輪があり、石組み井戸、西の側面には石積が残る。南端付近まで平段が続いているが、この辺りは竹藪が鬱蒼と茂っている。
尾根の南端から取り付くか、東にある畑地の奥の辺りから竪堀を登る方法がある。
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