筑後 海津城ちくご かいづじょう
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永正5年(1508年)安武安房守鑑政によって築かれたと云われる。 安武氏は河内国より茨木重政が大友義鑑に仕えて安武荘に下向し海津城を築いて、安武鑑政、後に鑑教と名乗ったことに始まると云う。
以後、代々安武氏の居城であったが、天正4年(1576年)龍造寺隆信が横岳下野守頼続を将として海津城を攻め、城主安武式部少輔鎮教は降伏、弟仲馬介政教は黒木氏を頼って落ちたという。
大正から昭和にかけての耕地整理によって遺構は完全に失われてしまったが、辺り一面田畑の中にぽつんと石碑と案内板が建てられている。