築城年代は定かではないが永久年間(1113年〜1118年)頃に本告道景によって築かれたと云われる。
永久3年(1115年)櫛田宮の社殿造営の勅使として、鳥羽天皇が下向させた本告道景がそのまま土着し、本告氏の祖となったと云われる。この本告氏代々の居城となったのがこの本告城と考えられている。
天文20年(1551年)龍造寺家臣の土橋栄益が龍造寺隆信を排除しようとしたときには、本告頼景がこれに加勢している。天文22年(1553年)筑後へ逃れていた隆信が村中城を奪還し、蓮池城の小田政光を攻めたときには本告義景の一族が援軍に駆けつけた。
本告城は現在の自得寺一帯に築かれており、お寺の前に案内板が設置されている。この辺り一帯に多数見られるクリークを利用した平城であるが、この本告城一帯は農地整備が成されており、自得寺の南側などにわずかに往年の堀であったクリークが残っている程度である。