築城年代は定かではないが佐々木氏によって築かれたのが始まりと云われる。
応永6年頃にこの蔵戸城で合戦があったという。
室町時代に九州探題に任ぜられた渋川満頼は、下向してこの蔵戸城に入ったと云われ、 小城の千葉氏とこの蔵戸城で戦ったという。
蔵戸城は現在の蔵戸集落の南側一帯に築かれていた。 蔵戸城は「権現山」と呼ばれた微高地が主郭と考えられ、その周囲に「城ノ西」、「城ノ東」、「城ノ南」といった地名が残っていた。しかし、現在は圃場整備によって完全に消滅しており、遺構を見ることはできない。
蔵戸集落は若宮神社や西教寺一帯にクリークが点在しており、蔵戸環濠集落となっている>若宮神社の前に「蔵戸・荒堅目遺跡」という案内板があり、それによれば奈良時代から鎌倉時代の建物跡や柵跡・溝跡などが確認されているという。この辺りは有明海と通じる水運によって栄えていた。