築城年代は定かではないが永正年間(1504年〜1521年)頃に犬塚家久によって築かれたと云われる。犬塚家久は蒲池氏の庶流崎村城主犬塚家貞の四男である。
犬塚氏は筑後国三潴郡犬塚郷発祥で、犬塚城を居城としていたが、明応年間(1492年〜1501年)頃に肥前国神埼郡に移ったという。
永禄3年(1560年)犬塚家清は嫡男尚家とともに大友氏に従って筑紫氏を攻めたが敗れ、宝満岳で戦死し、家督は鎮家(盛家)が継いだ。
元亀元年(1570年)大友氏に属して今山の戦いで龍造寺氏と戦ったが敗れ、その後、龍造寺氏の攻撃を受け、犬塚鎮家は筑後に敗走し直鳥城は廃城となった。
直鳥城はクリークを利用した平城で現在直鳥クリーク公園として整備されている。 以前訪れたときはまだ整備中だったようで、久々に訪れた所、きれいに整備された環濠と案内板が建っていた。
佐賀平野には多くの環濠集落があったが、圃場整備などによって次々と消滅しており、直鳥城や姉川城・横岳城など良好に残された例は少なくなってきている。
北の国道264号線から入った所に公園の無料駐車場がある。
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