築城年代は定かではない。
延文5年・正平15年(1360年)宮方の軍勢が横大路城と小城城に駐屯して、北朝方の高木城と対峙、その後北朝方の宗経茂が横大路城を攻めている。
その後は、勢福寺城の出城として整備されたものと考えられている。
横大路城は日の隈山から南東へ伸びた丘陵の先端にある標高76mの峰に築かれている。
南北二つの曲輪を取り巻くように横堀が巡る城で、峰続きにある松崎城や上善寺城塞とは異なる遺構を持つ。
主郭は北の最高所の曲輪で東西二段に分かれ、南端の土塁は幅広く櫓台のようになっている。南曲輪との間は堀切に土橋が架かりスロープとなっている。この二つの曲輪を巡るように横堀があり、南から東側が良く残っている。南西尾根はこの横堀と堀切が一条あり、側面には竪堀が落ちている。
日の隈公園に駐車場があり、東側に案内板が建っている。
松崎城から上善寺城塞を経て降りてきたが、上善寺城塞の辺りは荒廃した竹藪になっていて歩くのも苦労する。西の溜め池からなら簡単に登る事ができる。
最寄り駅(直線距離)