天智2年(663年)に唐・新羅軍と対峙した日本と百済の連合軍は白村江の戦いにおいて大敗した。大陸からの侵攻に備えて大宰府を置き九州や瀬戸内各所に城を築いた。この帯隈山神籠石もこの頃に築かれた朝鮮式山城の一つ神籠石型の山城と考えられている。
帯隈山神籠石は標高175mの帯隈山一帯に築かれた神籠石である。 帯隈山山頂の少し北側から南麓にかけて土塁線が描かれ、門跡は北門一ヶ所、水門は南に三ヶ所推定地がある。
県道51号線から少し入った所に案内板が建っており、二ヶ所の見学地が記されている。 鳥越池近くの見学地は土塁と列石を見学することができ、神籠池の見学地は池の堤防の端に石碑が建っているだけのようである。