築城年代は定かではない。南北朝時代に菊池武安が酒見城を攻撃した記録があることから、この頃には築かれていた可能性がある。
天正8年(1580年)佐嘉の龍造寺隆信が酒見城を築き、家臣の鍋島信生(後の直茂)を置いて守らせた。天正15年(1587年)立花宗茂が柳河城主となると、重臣の由布美作守惟信を酒見城に置いて守らせた。
慶長6年(1601年)関ヶ原合戦後に田中吉政が柳河に入封すると多くの城が壊され、この酒見城も廃城となった。
酒見城は現在の酒見納骨堂一帯に築かれていたという。一段小高くなった微高地であるが遺構はなく、納骨堂の前に案内板が設置されている。