肥前 多布施館ひぜん たふせやかた
△トップに戻る
慶長年間(1596年〜1615年)に鍋島氏によって築かれた。佐賀城の惣構えに隣接する出城として築かれた城で、犬塚信昌が在番していた。後に龍造寺高房の菩提寺として天祐寺、その東に在番の家臣屋敷が置かれた。
多布施館は天祐寺を含む一帯で周囲に堀が巡っていた。天祐寺は龍造寺高房の菩提寺で、その境内には百武志摩守賢兼の塔がある。百武賢兼の塔は百武氏に所縁の石塔だという。