築城年代は定かではない。長保3年(1002年)に藤原安弘が居城したと伝える。 近くにある天山神社を大宝3年(702年)に勧進した人物として藤原安弘が伝わっている。
城主は天山神社宮司職の円城寺氏も伝えられる。この円城寺氏は下総国千葉郡を本貫とした武将で千葉氏に従って下向したものと云われる。
内浦城は天山への登山口にあたる麓にあり、比高45m程の丘陵に築かれている。
主郭は切岸のしっかりした曲輪で西下へとスロープがある。ここから東の尾根は開墾されて藪化しているため詳しくわからないが、主郭から西へ伸びた尾根にも曲輪が伸びている。
西尾根の曲輪は細く北側を土塁にして続いており、西端はやや高く、その先は細尾根であるものの堀切は見あたらない。
南側の県道から川下へと降りる道がありその先に橋が架かって南西麓に取り付くことができる。
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