越中 高木場御坊えっちゅう たかこばごぼう
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明応3年(1494年)蓮誓の時、土山御坊より高木場御坊に移ったのが始まりという。
やがて勝興寺の寺号を得て雲龍山勝興寺となったが、永正16年(1519年)高木場御坊は火災により焼失し、勝興寺は安養寺城に移った。
高木場御坊は高窪集落の南側の丘陵に築かれていた。 「ジョジョダ」、「オオヤシキ」、「カンツキドウ(鐘撞堂)」などの地名が残り、土塁や堀の跡も一部残っているという。
国道304号線から高窪集落側に入り、大きく西へまわりこんだ辺りに案内板が建っている。