築城年代は定かではない。
文明年間(1469年〜1487年)頃には石黒氏の支城として坊坂四郎左衛門が城主であったが、故あって城を追われたという。文明13年(1481年)山田川で福満城主石黒右近光義並びに医王山惣海寺の宗徒が、井波瑞泉寺の一向宗徒と戦った。この合戦で桑山城主であった坊坂四郎は、加賀衆に荷担して医王山と福満城に火を放った。これによって石黒氏は滅亡したという。
桑山城は兵庫う292.5mの桑山山頂の北側に築かれている。山頂の南には火の宮社が祀られており、ほぼ同程度の標高であるが、南側を空堀で区画して北側のみに縄張が施されている。
主郭の南側は土塁で西側に南に張り出した櫓台があり、空堀はこの櫓台を屈折して設けられ横矢掛けになっている。主郭の北側は切岸で裾を巡るように空堀を設け、土橋が架かっている。主郭の西下は帯曲輪が付いている。
山頂南下にあるテレビ中継施設の所まで林道があり車で登ることができる。林道の入口は国道304号線の「ふくみつ華山温泉」の所と川西地区の西勝寺公民館付近の二ヶ所あるが、西勝寺公民館側からの林道のほうが道は良い。
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