永正16年(1519年)勝興寺によって築かれた。 勝興寺ははじめ土山御坊の地にあったが、明応3年(1494年)高木場御坊に移り、さらに永正16年(1519年)安養寺御坊に移った。
安養寺御坊は井波瑞泉寺とともに越中国一向一揆の二大勢力を誇っていた。天正9年(1581年)住職顕幸が石山合戦に出陣中に木舟城主石黒左近に攻められて落城、寺は焼き払われた。 天正12年(1584年)守山城主神保氏張は佐々成政を介して古国府城の地を勝興寺に寄進し、再建している。
安養寺城は渋江川に面した微丘陵地帯に築かれていた。 現在は圃場整備によって遺構は残っていないが、「御堂屋敷」と呼ばれる地の一角に石碑と案内板が設置されている。明治頃に描かれた絵図には土塁と二重の堀が巡らされている。
国道359号線と県道274号線の末友交差点を県道に沿って南下し、八幡宮を目指す。八幡宮北の道路を東へ少し進んだ北側の水田に案内板と石碑が建っている。
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