築城年代は定かではないが南北朝時代に桃井直常によって築かれたと云われる。
室町時代には守護畠山氏の守護代神保氏の居城放生津城の詰城としての役割があり、永正16年(1519年)越後の長尾為景が越中に侵攻した際に、神保慶宗はこの城に籠って対抗した。神保氏は天正年間(1573年〜1592年)に神保氏張が上杉謙信に降り、謙信没後は佐々成政に従った。
天正13年(1585年)佐々成政が羽柴秀吉に降ると、前田利長が入城し慶長2年(1597年)富山城に居城を移すまで在城した。
現在は万葉ラインや山頂の公園化、駐車場となり城址は破壊されている。
訪れた時は遺構の有無が全くわからなかったが、城山山頂から南西に伸びる尾根に曲輪や堀切などの遺構が残っているようである。
主郭の西側面に石垣がある。
国道160号線から万葉ラインを使って城址まで車で登ることができる。
最寄り駅(直線距離)