築城年代は定かではないが鎌倉時代に名越氏によって築かれたと云われる。
室町時代には守護畠山氏の守護代神保氏の居城であったが、永正16年(1519年)越後の長尾為景が越中に侵攻した際に、神保慶宗は守山城に籠って対抗した。 以後、神保氏は富山城、守山城、増山城を居城としている。
現在の放生津城小学校一帯が城址である。 小学校北側の道路沿いに案内板があり、土塁のように盛られた土のはあるが遺構ではないらしい。 この山の上に陣取っていたのが雉で、飼育されているのか近寄っても全く逃げない。たまに山城を散策中に見付けるが、直ぐに飛び去るので間近でじっくり見たのは初めてかも...