築城年代は定かではないが戦国時代に寺崎氏によって築かれたと云われる。
天正5年(1577年)上杉氏が越中・能登・加賀に侵攻すると、それに降ったが謙信没後に織田氏が越中に侵攻すると織田氏に降った。 しかし、上杉氏が再び越中に侵攻すると再度降り、天正9年(1581年)織田氏によって攻められ落城、城主寺崎父子は近江に送られ自刃させられた。
現在の加茂神社のあたりが主郭と推測されているが遺構はない。発掘調査によって周辺から堀や土橋などが検出されたが、その構造などは不明な点が多い。
石碑と案内板は加茂神社から少し離れた南側に設置されており、城の位置はそこを示している。