築城年代は定かではないが永享年間(1429年〜1441年)に遊佐氏によって築かれたと云われる。 遊佐氏は越中国守護畠山氏の重臣で礪波郡の守護代を務めた。
蓮沼城は加賀と越中を結ぶ倶利伽羅峠越えの街道の要衝にあり、ここから舟に乗って小矢部川を下り河口に出る河川交通も栄えていた。 延徳3年(1491年)細川政元に同行して越後に下向した冷泉為広は、「遊佐加賀守館」に宿泊し、館の側にある船着き場から小矢部川を下って河口に出ている
遊佐氏の動向は定かではないが、永正年間(1504年〜1521年)の遊佐新右衛門慶親の頃までは蓮沼城を居城としていたようである。
天正年間(1573年〜1592年)に越中に入部した佐々成政は家臣を蓮沼城に入れて拠点としていたが、天正13年(1585年)佐々成政と対立していた前田利家の軍勢が蓮沼城を攻めて落としている。
蓮沼城は現在の蓮沼公民館の近くに築かれていた。遺構は残っていないが石碑と案内板が設置されている。
宝暦14年(1764年)の書上申帳には東西26間、南北36間の規模で周囲に幅5間の堀があったといい、地籍図からは西に土橋の架かった方形居館を見て取ることができる。