越中 野尻城えっちゅう のじりじょう
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築城年代は定かではない。 城主は野尻氏と見られている。
野尻氏は寿永2年(1183年)倶利伽羅合戦に参加した。南北朝時代には南朝方の桃井直常の拠点の一つで、康安2年(1362年)と応安2年(1369年)に北朝方の斯波氏が攻めている。
文明13年(1481年)一向一揆に攻められ城主は降伏して落城した。
野尻城は現在の徳仁寺一帯に築かれていたというが、遺構は残っていない。 発掘調査によって南北朝時代から戦国時代に至る陶器、井戸跡などが検出された。