築城年代は定かではないが文明年間(1469年〜1487年)に瑞泉寺によって築かれた。
文明13年(1481年)福光城主石黒右近光義は、医王山惣海寺と組み井波瑞泉寺と山田川にて戦ったが敗れて滅亡した。これにより山田川の東は瑞泉寺領、西は安養寺領(勝興寺)となった。これにより勢力を拡大した瑞泉寺は要害を構えこれが井波城の前身となった。
天正9年(1581年)佐々成政は越中の一向宗の二大勢力となっていた瑞泉寺を攻め、これを攻略した。その後井波城には成政の家臣前野小兵衛が城主となったが、天正13年(1585年)前田利家によって攻略された。
井波城は現在の瑞泉寺の東にある井波八幡宮のある丘陵に築かれている。 本丸は井波八幡宮のある地で、北の招魂社のある地が二ノ丸という。北の麓で一部試掘が行われ堀跡を検出していることなどから、麓に堀を巡らせていたようである。