築城年代は定かではないが南部宗治によって築かれたと云われる。
足利直義に仕えていた南部宗治が、直義没後に鉢伏山に要害を築いて数代にわたって居城としていた。
永禄3年(1560年)椎名氏は上杉謙信の援助を受けて神保氏を攻め、富山城から増山城へ逃れた神保氏をさらに追撃して五箇山に敗走させた。隠尾城主南部源左衛門尚吉も上杉氏と戦って敗れたという。
鉢伏山城は庄川の東岸に聳える標高570mの鉢伏山山頂に築かれていたという。 遺構は確認されておらず伝承のみであるが、以前開墾された井に土饅頭などの無数の塚が発見されたと云われ、隠尾城の詰の城があったと考えられている。
現在は無線中継施設や鉢伏明神社が祀られている。
県道348号線から山頂まで通じる車道がある。
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