越中 福光城えっちゅう ふくみつじょう
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築城年代は定かではないが石黒氏によって築かれたと云われる。
平安時代末期源義仲に加勢した石黒太郎光弘の本拠であったのが石黒荘であった。 石黒氏の宗家石黒太郎光秀の弟石黒五郎光信が福光に居城したといい、文明13年(1481年)山田川で井波瑞泉寺の一向宗徒と戦って敗れ、石黒氏が滅亡したときの石黒右近光義は福満城主であった。
福光城は現在の栖霞園の辺りに築かれていたが遺構は残っていない。 城の規模は東西27間、南北16間程という。栖霞園の入口の所に案内板がある。