築城年代は定かではない。 城主は石黒太郎光秀と云われる。
石黒荘を本拠とした石黒氏の宗家は太郎光秀で、弟の石黒五郎光信が福光、光秀の二男石黒宗五郎が山本村に居城したという。 石黒氏は文明13年(1481年)山田川で石黒右近光義並びに医王山惣海寺の宗徒が、井波瑞泉寺の一向宗徒と戦って敗れ滅亡したという。
西勝寺城は桑山城のある桑山山頂から東へ伸びた尾根の頂部、ちょうど「く」の字に折れている地点に築かれている。
堀切によって区画された曲輪が尾根伝いに並ぶ連郭式の山城である。主郭は定かではないが、北端の曲輪は西側に土塁があり、北側がやや幅広く櫓台状になっている。この曲輪と南側の曲輪との間は幅広の空堀があり、西側に"l"字状に土塁が設けられ虎口のようになっている。現在はこの直ぐしたに舗装された林道が走っているが、南側には山裾に古い山道が残っているので、この下に古道があったようである。
西勝寺公民館付近から桑山山頂に続く林道の脇に城跡がある。 登っていくとちょうど大きく左カーブとなる右側の山で、少し進んだ所に駐車できるスペースもある。
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