詳細不明。地元の伝承では梨木大納言の居館と伝えられる。「宝永誌」では沖近江守が城主で、天正4年(1576年)下間刑部卿法眼(頼廉)に宛てた連署に奥近江守政堯の名があり、これにあてられている。
梨木城は森下川の南岸にある微高地に築かれている。かつては森下川が三方を巡るように流れていたというが、現在は北側を削るように流れている。
「石川県中世城館調査報告書」によれば、川に面した北側を除いて周囲に土塁が巡り、東側に虎口と思われる開口部を描く。残念ながら鬱蒼と草木が茂っており、簡単に取り付けそうになく、遺構は未確認である。