加賀 若松本泉寺かが わかまつほんせんじ
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長享元年(1487年)この地に若松本泉寺が移ってきたと云われる。
翌長享2年(1488年)に長享一揆と呼ばれる一向一揆が起こり、守護であった富樫政親は高尾城を囲まれ自刃している。以降、本願寺派の中心的な寺院として享禄4年(1531年)にo焼かれるまで存続した。
若松本泉寺は現在の専徳寺墓地一帯に築かれていたが、周囲は住宅地となっており、わずかに専徳寺墓地に土塁が残るのみである。