築城年代は定かではない。天正4年(1576年)には平野神右衛門が居城としていたが、翌天正5年(1577年)に越後の上杉謙信のもとへ走ったと伝えられる。
天正8年(1580年)佐久間盛政が金沢城へ入ると、その家臣柘植善左衛門、敦賀八矢、松本我摩久順次などが城番となった。また、一説に柴田勝家の家臣拝郷家嘉が在城したともいう。
天正13年(1585年)富山城主佐々成政が前田利家方の鷹巣城を攻めたが、前田利家はこれを撃退したという。
鷹巣城は犀川東岸の山上に築かれている。山の上ではあるが、高低差があまりない台地の上で、平城のような縄張りとなっている。
鷹巣城は中心となる曲輪が南北に並び、東側にある馬出状の曲輪に対して土橋が架かっている。さらに外側にはそれらを包むように外郭があり、外側は土塁と横堀によって遮断している。
主郭は南北二郭のいずれかであるが、東側から南側に掛けてl字の土塁が付く南側の曲輪が主郭と思われるが、北側の曲輪のほうがやや高い位置にある。東の馬出状の曲輪はl字に堀が巡っていたようであるが、北側は埋まっている。この曲輪は北郭、南郭、そして外郭にそれぞれ土橋が架かる。
台地の西端には林道が通っているのだが、この西下の斜面にも遺構があり、広い平段と横堀状の堀が所々残っている。
県道207号線沿いの上辰巳町から北陸電力の加賀変電所を目指すのがわかりやすい。変電所の南側から南東へ林道があり、その途中に城跡の案内板がある。この付近に車を駐めるスペースがある。
最寄り駅(直線距離)