築城年代は定かではない。木曽義仲に従って平氏と戦った林六郎光明が在城していたとも伝えられる。
加賀国守護職富樫氏によって築かれたと云われ、長享2年(1488年)一向一揆の蜂起を聞いて近江より帰国した守護職富樫政親は高尾城に追い詰められ、その猛攻に耐えかねて高尾城を捨て、鞍ヶ嶽城に入ったという伝承があり、最後は討死したと伝えられる。
鞍ヶ嶽城は標高565.3mの倉ヶ岳山頂に築かれていたという。山頂まで登山道が通じているものの、あまり利用されていないのか夏草に埋もれた部分が多く、山頂も辛うじて三角点付近が苅られている程度であったため、遺構の確認が難しい。
城の遺構は明瞭ではなく、山頂付近も平坦ではあるが、北側に辛うじて切岸加工が見られる程度という。しかし、山の北側から通じる登山道沿いには土塁が付いており、山側には湧き水が流れるのか溝のような地形が続いている。この土塁は山頂の方まで通じているようで、途中遊歩道がいったん土塁を乗り越えるようになっている。
山頂近くには倉ヶ岳の集落があり、大池まで車道が通じて終点に駐車場がある。ここにある案内板には大池を散策する遊歩道が書かれているのだが山頂へ向かう道が記されていない。山頂へはいったん車道を戻り、北陸大学の看板が出ている所の反対側に遊歩道の入口がある。
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