永正5年(1508年)本願寺蓮如の七男蓮悟によって築かれた清沢坊が始まりである。 若松本泉寺の支坊で、永正10年(1513年)蓮如の十男実悟が移住して願得寺と号した。
享徳4年(1531年)享徳の乱で、守護を中心とした国衆や賀州三ヶ寺(本泉寺・松岡寺・光教寺)と超勝寺・本覚寺とで紛争となり、下間頼秀によって清沢願得寺は放火された。
清沢願得寺は鶴来博物館のある団地の上にある小公園の付近に構えられていた。 現在公園の一角に伝鐘搗堂跡があり、ここに石碑と案内板が設置されている。 背後の山からは空堀が検出されている。
鶴来博物館・朝日小学校の北側にあり、朝日団地入口から入って一番奥のあたりに公園がある。
最寄り駅(直線距離)