文明年間(1469年〜1487年)に吉崎御坊の本願寺蓮如によって開かれた。 文明18年(1486年)頃には蓮如の四男蓮誓が入寺しており、賀州三ヶ寺(若松本泉寺・波佐谷松岡寺・山田光教寺)の一つとして数えられた。
長享元年(1487年)加賀国守護冨樫政親が一向一揆によって滅ぼされた後は、加賀国は賀州三ヶ寺が連合して支配し「百姓の持ちたる国」と呼ばれるようになる。
大永元年(1521年)蓮誓が没した後は三男顕誓が相続し、享禄4年(1531年)越前国の藤島超勝寺が加賀へ進出して賀州三ヶ寺と対立すると、超勝寺方に山田光教寺は攻められ敗れた顕誓は越前国へ逃亡したものの捕まり、播磨国本徳寺に蟄居させられ山田光教寺は廃寺となった。
現在光闡坊が建っている地が山田光教寺跡で、入口には土塁が残り、その東端に蓮如上人像が建てられている。奥には米蔵跡が残る。