築城年代は定かではない。当初一向一揆が籠ったいわれ、永禄10年(1567年)加越和睦によって廃城となったという。
天正4年(1576年)佐久間盛政の将徳山則秀が一向一揆攻略の際に松山城に籠り、一向一揆平定後に松任城へ移った。
東西の2つの小山が城址で西側が見張り台、東側に本丸が置かれていたという。 見張り台には土塁と空堀が残り、矢竹の群生する道を通って東の山に向かう。 東の山には空堀が巡らせてある。
西麓を通る道に道標が出ている。 見張り台とされる西の小山に行けば、東の山に向かって案内が出ている。
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