築城年代は定かではないが弘治元年(1555年)頃に一向一揆によって築かれたと云われる。
弘治元年(1555年)越前の朝倉氏が加賀に侵攻したとき、加賀の一向一揆勢が城を築いて遠篝を焚いたところと伝えられる。永禄10年(1567年)足利義昭の調停によって朝倉氏と一向一揆が和睦となったときには黒谷城は朝倉氏の城であったが、和睦条件として焼き払われたという。
天正8年(1580年)織田信長の部将柴田勝家が加賀に侵攻したときには、朝倉家臣吉田某と一向一揆の将岸田常徳が籠城し、五日間の攻城戦で落城したという。
山中黒谷城は四十九院トンネルの上、標高234mの山に築かれている。
標高234mの山頂が主郭でそこから東へ伸びた尾根に曲輪が続いている。主郭は北下に腰曲輪があり、北東側面に大きな畝状竪堀群、東側面にも不明瞭ながら短い畝状竪堀群が確認できる。
主郭から北へ続く尾根には堀切がある。
主郭から続く東尾根は堀切と不明瞭な切岸を持つ曲輪らしき地形が続き、やがて北側に向きを変えるが、その下方の堀切辺りまでが城域として確認できる。南の鉄塔部分は堀切ではなく山越えの峠路のようである。
登山道入口は旧四十九院トンネルの山中温泉側にあり、そこから鉄塔整備道を使って山上に登って行く道がある。登り口付近に駐車可能。
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